■歓迎されなかった初入国

慶長8年3月中旬、忠政公が信濃の川中島の所領から美作の国へ転封となり、多くの家臣を連れて川中島を出発し、美作国府であった院庄に到着した。このときの美作入国に対して、領民は心よく思わなかったのである。この美作国は元は宇喜田秀家や小早川秀秋が治めていた領地であり、宇喜田や小早川が改易となった際に浪人となった地元の残党がおおく残っていたからである。忠政公は川中島から大勢の家臣を引き連れてきているために、彼等を家臣として再雇用することは考えていない。そのため彼等残党は美作の国境に集結して忠政公の一行を遮ろうとした。その数は3000人にもなったという。
既に先遣隊として川中島から一足先に来ていた森家の家臣がこれを収めようと必死に奔走し、「森家の入国を拒むことは将軍家に対する謀反であり、森家と戦うことは天下の将軍を相手にして戦うのと同じことになる」と説得し、この暴動を未然に防いだという。
 後に院庄に到着してそれを聞いた忠政公も大層機嫌がよく、その処罰に付いても不問に付すと言い渡した。

■狐を目で威嚇した話

忠政公が津山に滞在中、城の庭内へ野ギツネが1匹迷い込んできた。それを目障りに感じた忠政公はこの狐を睨み付けると、その狐は怖がってそのまま四足を縮めてその場に伏して固まってしまった。忠政公はその狐を睨んだまま「誰かあれをつまみ出せ」と近習に命じ、近習が者が庭に下りて、忠政公の面前を横切ったその瞬間、視線が遮られた狐はその場を飛ぶようにして逃げ去ったという。

■鶴山神社の神夢

忠政公が院庄での築城を断念し、新たに鶴山の丘に城を建てることにした時、そしてこの山にあった鶴山八幡宮を別の場所に遷宮させることにして、その場所を久米南郡の覗山に選定して、御神体を遷じた。その後も築城普請は順調に進んでいたが、慶長13年8月14日にその事件は起きた。遷宮した覗山の鶴山八幡宮の例大祭があるため、その前日に忠政公は手を荒い、口をそそいで礼拝し、その後、心がすがすがしいまま、明日見えるであろう十五夜の月夜の宴を待ちきれずに一日早く催した。近習のものと共にその宴を楽しんだが、世もふけたので、寝所に入って眠りにつくと、鶴山八幡宮の神が、気高い翁の姿で忠政の枕元に立ち、「なんじ信仰もっとも厚くそれを感動しないわけではないが、今鎮座している覗山は他の郡に属してしまっている。そこで、元あった鶴山と同じ郡の西北に遷座して欲しい、そうすれば必ず国の鎮護となるであろう」と告げ、忠政公は目が覚めたという。
しかし、忠政公はその霊夢を信じず放っておいたところ、再び同じ霊夢を見、それが3度続いて初めて家臣に命じて行動を起こした。
その結果、霊夢が告げたとおり、城の北西にある十六夜山が聖地であることを知り、神殿を建立するのに最もふさわしい場所であることが判明し、驚愕を隠せない忠政公は直ちに遷座することを決めて、幾つかの神器を奉納したという。


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