寛永9年1月24日、忠政63歳の時、2代将軍秀忠が死去した際、御遺物(形見)として銀5千枚を拝領した。将軍の遺物としてこのように金銀を拝領するのは、将軍の近臣か親族とされていたからである。忠政の嫡子、忠廣が秀忠の養女を正室としていたことから、忠政親子がこのような将軍家の親族の扱いを受けていたということがうかがいしれる。 (森勇己)