|
忠政公が院庄での築城を断念し、新たに鶴山の丘に城を建てることにした時、そしてこの山にあった鶴山八幡宮を別の場所に遷宮させることにして、その場所を久米南郡の覗山に選定して、御神体を遷じた。その後も築城普請は順調に進んでいたが、慶長13年8月14日にその事件は起きた。遷宮した覗山の鶴山八幡宮の例大祭があるため、その前日に忠政公は手を荒い、口をそそいで礼拝し、その後、心がすがすがしいまま、明日見えるであろう十五夜の月夜の宴を待ちきれずに一日早く催した。近習のものと共にその宴を楽しんだが、世もふけたので、寝所に入って眠りにつくと、鶴山八幡宮の神が、気高い翁の姿で忠政の枕元に立ち、「なんじ信仰もっとも厚くそれを感動しないわけではないが、今鎮座している覗山は他の郡に属してしまっている。そこで、元あった鶴山と同じ郡の西北に遷座して欲しい、そうすれば必ず国の鎮護となるであろう」と告げ、忠政公は目が覚めたという。
しかし、忠政公はその霊夢を信じず放っておいたところ、再び同じ霊夢を見、それが3度続いて初めて家臣に命じて行動を起こした。
その結果、霊夢が告げたとおり、城の北西にある十六夜山が聖地であることを知り、神殿を建立するのに最もふさわしい場所であることが判明し、驚愕を隠せない忠政公は直ちに遷座することを決めて、幾つかの神器を奉納したという。
(森勇己)
|