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●森光照の中山家仕官

 光照の父は美作津山藩の支藩であった新田藩主森對馬守長俊で、母は伴氏といった。伴氏については明らかではないが、津山藩森家の家臣団には多く登場する名前の一つでもある。森氏家譜には家女と書かれていることから、長俊の家の女中であったと思われる。兄には同じ母を持つ長照がいたが長照の家は後に播州の森四郎兵衛の家となって分家独立をしている。同家譜には光照を長俊の庶子にて第四子とあり、系譜の順番は某(女)、某(松之助)、長照、光照、長記、長廣となっている。つまり、後年長俊の家督をついで三日月藩主となった弟の長記や関家を継いだ長廣より年長者となるが、長記と長廣は側室の子であり、家女の子とされる長照・光照とは区別されている。
鶴松は元服後に森伊豆光俊(森氏家譜には伊豆守と書かれているが、官位を得ていないため、伊豆の誤りだと思われる) と名乗るが、その後光照と改めた。この頃からは伊豆をあらため、五郎兵衛と称したようである。
これより先、光俊は武術を得意として大坪流馬術を学び、また槍術を佐分利流で学んだ。その腕は確かなものであったようで、中山家の嫡子三五郎の相役となり、その縁で中山家に仕官して三五郎の近習となって年俸180俵を食む。中山家は北条家の遺臣で八王子城を死守した中山勘解由家範の家で、北条家滅亡の後、徳川家康によって水戸藩の付家老に取り立てられた家である。後に中山三五郎が館林宰相の家老、黒田信濃守直相の養子となって黒田直邦と改めて黒田家に入ると、光照はこれに付き従って黒田家の家人となった。館林宰相とは徳川綱吉のことで、後に兄の将軍家綱が没すると、その跡目を継いで5代将軍にとなり、側近であった黒田直邦も将軍の近習として異例の出世を遂げた。
(続)

(森勇己)


出典:森氏家譜・南総実記他