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文徳天皇の第4皇子で、当時最大の実力者であった藤原良房の孫にあたる。 この良房の強い意志によって、生後9ヶ月皇太子となり、文徳天皇が没すると9歳にして即位した、幼い清和天皇を補佐したのは外祖父の良房であり、彼は人臣として初の摂政となった。 良房没後は良房の養嗣子基経が実権を握り、これに憤激した天皇は、やはり基経の妹である皇后高子との間にもうけた第一皇子、貞明親王に譲位した。在位は18年。そしてこの貞明親王が後の陽成天皇となった。
譲位後は仏門に入って素真と号したが、元慶4年(880)に粟田山荘円覚寺で31歳で崩御した。このとき、遺言によって御陵は作られなかったが、現在は京都市右京区嵯峨の水尾山陵が清和天皇陵とされている。そのためこの場所に遺骨は奉安されておらず、別名を水尾天皇といい、水尾院とも称された。
#別説
清和天皇の皇子とされる貞純親王は、実は貞明親王、すなわち陽成天皇の嫡出子であるという説がある。
これを紐解けば、陽成天皇は歴代天皇で唯一であるが17歳のときに宮中において殺人事件を起こしたことがあり、このことから、その父の清和天皇の流れを汲むとしたものである。しかし、根拠が薄く、真実はわからない。
| 誕生 |
嘉祥3年(850)3月25日 |
| 立太子 |
嘉祥3年(850)11月25日 |
| 践祚 |
天安2年(858)8月27日 |
| 即位 |
天安2年(858)11月7日 |
| 譲位 |
貞観18年(876)11月29日 |
| 崩御 |
元慶4年(880)12月4日(31歳) |
| 室 |
【皇后】
藤原高子( ふじわらのたかいこ)
【女御】
藤原佳珠子、藤原多美子、嘉子女王、兼子女王、忠子女王、平寛子、源済子、源厳子、藤原頼子、源喧子、源貞子、源宣子、
【更衣】
藤原氏、在原氏、藤原氏、藤原氏、佐伯氏、橘氏、藤原氏、王氏、藤原氏、賀茂氏、大野氏、隆子女王 |
| 嫡子 |
第1皇子・貞明親王(陽成天皇)
第2皇子・貞固親王
第3皇子・貞元親王
第4皇子・貞保親王
第5皇子・貞平親王
第6皇子・貞純親王
第7皇子・貞辰親王
第8皇子・貞数親王
第9皇子・貞真親王
第10皇子・貞頼親王
第1皇女・孟子内親王
第2皇女・包子内親王
第3皇女・敦子内親王
第4皇女・識子内親王
庶子など
長猷、長淵、長鑒、載子、長頼 |
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