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森快温本廟
三日月高蔵寺山上


森快温供養墓
池上本行寺
快温は幼名を木工之丞といい、安芸広島藩主浅野重晟の二男として、明和6年広島城で生まれた。寛政5年7月森俊春の息女、曾代と婚姻して森俊韶の婿養子となった。
8月に将軍家斉に拝謁し、従五位下下野守に叙された。11月に俊韶が隠居したため家督を継ぐが、12月には3代俊春以来預かっていた播州作州の5万4千石の預地は御役御免となった。
快温は学問の普及に力を注ぎ、寛政7年私費を投じて領内に藩校「広業館」を設立した。広業館は廃藩までの80年間、藩校の教授や藩士の中から多くの人材を出し、三日月に大きな足跡を残したが、在職8年目の享和元年8月、領地の乃井野で病没する。
嫡子が無かったため、死の直前に新見関家の関長誠の4子、芝二郎を急養子として願い出て、この急養子が後の森長義である。



森快温が設立した藩校「廣業館」


広業館の額文字
別名・官職 勝五郎・河内守
従五位下對馬守
生年 明和6年10月18日
安芸広島藩主浅野重晟(実父)
森俊韶(養父) 
新見藩主関長廣の息女 類
没年月日 享和元年9月27日 33歳
法名 快温院殿鷲峯宗雲大居士
葬地 三日月高蔵寺(本廟) 池上本行寺
(正)森俊春の息女 曾代
嫡子 長義 (新見藩主関長誠の二男)