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城代として赴任した
下館城跡

下館城本丸跡
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三日月藩主森長俊の第4子で、寛文12年に江戸藩邸で生まれた。
幼名は鶴松といい、後に伊豆守光俊と改める。母が正室ではなく、家女の伴氏であったため、部屋住みを続けたが、貞享5年3月に水戸藩の付家老であった中山直張の三男、中山三五郎の槍術の相役となったことがきっかけで中山家に仕官となり、後に中山三五郎が徳川綱吉(当時館林宰相)の家老黒田直相の養子となって黒田直邦となると、これに追従して黒田家の家臣となった。
元禄4年1月14日、黒田直邦が1500俵を加増され、江戸城へ御礼に伺候するときに同行し、江戸城の白書院で徳川綱吉に初めて拝謁し、このとき直邦から80俵の加増を賜った。その後、綱吉による直邦邸訪問が数回あり、そのたびに白銀10枚や時服などを賜っている。
史料によると、綱吉の黒田邸訪問に際しての光照の拝領は次の通り
1.元禄8年5月4日 白銀10枚。
2.元禄9年2月3日 時服3着。
3.同年11月14日 時服1着・白銀10枚。(南総実記には時服1着のみ)
4.元禄14年4月22日 白銀10枚
5.同年10月9日 時服3着。
史料にはこの5件しか書かれていないが、綱吉の側近中の側近であった黒田直邦のことであるから、綱吉の訪問はこれをはるかに上回ると考えられる。
宝永2年1月、黒田直邦が常陸下館城を与えられるが、直邦は綱吉の近臣であるため封地に行くことができず、光照に城代を命じ、下館城へ赴くき、正徳2年1月、下館城の居宅で死去した。
遺骸は江戸に運ばれ、深川の浄心寺に葬られた。
| 別名・官職 |
鶴松・光俊・五郎兵衛・伊豆守
下館城代 |
| 生年 |
寛文12年 |
| 父 |
三日月藩主 森長俊 |
| 母 |
伴氏 (長俊の妾) |
| 没年月日 |
正徳2年1月14日 40歳 |
| 法名 |
勇厳院殿光照日應大居士 |
| 葬地 |
江戸深川浄心寺 |
| 室 |
(正)中山信吉の養女、定子
(妾)曾代 |
| 嫡子 |
光治 光銑 光仲 格之進 重光 |
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