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光治が没した下館城跡


光治花押
 光照の嫡男で元禄3年3月8日江戸に生まれた。この時代、父光照は津山新田藩の部屋住みであったため、生まれた場所は大崎の津山藩邸ではないかと思われる。
母は中山信吉の養女定子とされるが、信吉自身は寛永19年に没していることから、疑問が持たれる。いずれにしても養女であり、息女ではない。
 元禄16年1月21日江戸において下館城主黒田直邦に拝謁し、召抱えられ、光照の家禄から40石を分与されて小姓役となる。
宝永2年1月、父光照が下館城代として下館に向かうにあたり、御小姓役を免されて、光照とともに下館に赴くが、宝永5年11月30日、18歳で父に先立って下館城内で没した。南総実記によれば、城内で卒倒したとあり、急死のような表現をしている。
 棺は12月10日に江戸の浄心寺に移されて埋葬され、位牌を広徳寺の森家霊屋に安置した。 この時、光治には3歳になる子光敏(南総実記では1歳)が居たが、幼い故に光照が後見となり、後にこの後見を光治の弟、光仲が引き継いだ。



 この後、黒田公の転封に伴って久留里にやってきた光仲によって、久留里妙長寺にも光治の位牌が安置された。

妻は中山家の家臣、府川民英の息女であったが、光治死後、まだ若い為に実家に戻された。

別名・官職 鶴松 五郎兵衛
生年 元禄3年3月8日
森光照
中山氏定子
没年月日 宝永5年11月30日 18歳
法名 實明院光治日閑大居士
葬地 江戸深川浄心寺
(正)中山家家臣 府川民英の息女 
(妾)なし
嫡子 光敏 光仲(弟を養子)