津山藩3代藩主森長武が隠居した時、弟の長基を養子とし、隠居でありながらも大名としての待遇を受けていたが、長武没後、家督を相続する御礼のために江戸へ参府すべき長基は、病気を理由に江戸への参府を拒否した。幕府はこれを長武の不徳によるものとして、家督を没収し大名の列より除外し、長基は森長成に預けた。津山藩改易後は森長継、長直に預けられ、長直の時代に罪を許された。このような経緯から、森主税家の初代は長基の子、長英となり、以後赤穂森家の重臣として続いた。
文久2年12月9日、赤穂藩家老であった森可彜と村上真輔が赤穂城で尊皇派によって暗殺され、主税家は断絶した。後に村上真輔の2人の息子が、暗殺に加わった6人の旧藩士が高野山に詣でた時を待ち伏せし、明治4年にこれを仇討ちした。この事態を知った政府は、「仇討ち禁止令」を制定し、その結果これが日本最後の仇討ちとされる。 |
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