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三日月藩主森家(三日月家)

この系統を「三日月家」とするのは居所である播磨国三日月(乃井野)に由来します。「森家先代実録」では森對馬守長俊の系と呼んでいます。長俊は当初宗家から新田を分知されていましたが、宗家改易後、領地を改めて三日月に賜りました。維新後は子爵に叙されて居を東京に移し、11代森俊成氏は貴族院議員や中野町長、東京市会議長や東京市議会副議長などを歴任しました。
三日月藩主森家

◆個人情報の観点より、存命者の情報は割愛しています。

三日月藩乃井野陣屋
(兵庫県佐用町)



三日月藩主森家墓所
(池上本行寺)

歴代当主 西暦 主な出来事 備考
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1649
慶安2年9月8
津山藩主・森長継の4男・森長俊、津山城で生まれる。
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1676
延宝4年4月
森長俊、1万5000石を父より与えられて津山新田藩主となる。
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1684
貞享元年10月21日
森長俊の所領・津山新田藩が幕府に公認され、諸侯となる。
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1685 生類憐みの令
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1687 貞享4年6月16日
森長俊の嫡男・森長記生まれる(後の2代藩主)
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1697 元禄10年8月
本家の津山藩が改易となる。
10月19日
本家の改易に伴い、津山新田藩の所領を三日月藩に移封される。
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1701 元禄14年3月
浅野内匠頭、吉良上野介に殿中において刃傷(赤穂事件)
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・.
1715
正徳5年7月27日
森長俊隠居。嫡男長記が家督を継ぎ、2代藩主となる。
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1716
享保元年
森長記の長男・森可敦生まれる
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B



1726
享保11年2月5日
森俊春江戸で生まれる(後の3代藩主)
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1730 享保15年
森長記の嫡男・森可敦、将軍吉宗に拝謁する。
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1735 享保20年6月4日
森長俊、江戸で死去。享年87歳。
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1736 元文元年
森長記の長男・森可敦、病のため廃嫡。次男・俊春が継嗣となる。
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1739 元文4年6月26日
森長記隠居。俊春が家督を継いで3代藩主となる。
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1745 延享2年4月
幕府より美作国および播磨国において5万4430石の幕領を預かる。
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C



1750
寛延3年7月18日
森俊春の長男・森俊韶、江戸で生まれる(後の4代藩主)
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1767
明和4年5月4日
森長記、江戸で死去。享年81歳
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D



1769 明和6年10月18日
浅野快温、広島藩主浅野重晟の次男として生まれる(後の5代藩主)
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1774 安永3年5月29日
森俊春隠居。長男・俊韶が家督を継いで4代藩主となる。
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1776 安永5年10月4日
森可敦、三日月で死去。享年61歳
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1782 天保の大飢饉
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1787
天明7年8月20日
森長義、備中新見藩主・関長誠の次男として生まれる。(後の6代藩主)
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1793 寛政5年11月10日
森俊韶隠居。妹婿の浅野快温(広島藩主浅野重晟の次男)に家督を譲り、森快温が5代藩主となる。
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F



1795 寛政7年
森長篤、播磨国赤穂藩主・森忠賛の11男として生まれる(後の7代藩主)
藩主・森快温、私財を投じて藩校「廣業館」を設立
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1797 寛政9年2月4日
森俊韶、江戸で死去。享年48歳
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1801 享和元年9月27日
森快温、領国の三日月で死去。享年33歳。
森長義が家督を継ぎ、6代藩主となる。
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1806 文化3年6月4日
森俊春江戸で死去。享年81歳
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1809 文化6年5月20日
森長義隠居。森長篤が家督を継ぎ、7代藩主となる。
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G



1810 文化7年
森長義の長男・森長國生まれる。(後の8代藩主)
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1816 文化13年8月23日
森長篤、江戸で死去。享年22歳。
先代長義の嫡男・森長國が家督を継ぎ、8代藩主となる。
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H



1833 天保4年
森長國の次男・俊滋生まれる(後の9代藩主)
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1837
天保8年8月20日
森長義、江戸で死去。享年51歳

大塩平八郎の乱
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1843 天保14年
森俊滋、兄虎松丸の死去により世子となる。
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1848 嘉永元年9月10日
森長國隠居。森俊滋が家督継ぎ、9代藩主となる。
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1853
ペリー来航
1857 安政4年11月8日
森長國、江戸で死去。享年48歳
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1867
慶応3年10月14日
大政奉還
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1868 慶応4年/明治元年
戊辰戦争。三日月藩は官軍について東北遠征をする。
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1869 明治2年6月17日
森俊滋、華族に列せられる。
戊辰戦争の功により、2千両を賜る。
6月23日
森俊滋、版籍奉還により乃井野藩知事となる
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I



1871 明治4年7月14日
廃藩置県
森俊滋乃井野藩知事、三日月県となり免官。
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1874
明治7年
森俊滋、明治政府に対して家譜・「播磨三日月 森家譜」を提出。
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1877 明治10年
西南戦争
1879 明治12年6月9日
森俊滋死去。家督は森長祥が相続する
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1884 明治17年
森長祥、子爵となり華族に列せられる。
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1890 大日本帝国憲法発布
J



1887 明治20年
関博直の四男・納郎生まれる(後の森俊成氏)
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1900 明治33年
森長祥子爵、東京で死去。
家督を娘婿の森俊成(三日月家、新見関博直の子)が相続
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1904 日露戦争





1909 明治42年11月9日
森俊成子爵の長男俊守氏誕生
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1910 韓国併合
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1932 昭和7年
中野町が中野区となり、東京市に合併される。これにより、中野町長を辞職
3月20日
森俊成、第61回帝国議会・貴族院開院式に出席(所属会派・研究会)
6月1日
森俊成、第62回帝国議会・貴族院開院式に出席(所属会派・研究会)
7月10日
貴族院第7回選挙(伯子男爵議員の改選) に森俊成が出馬、再選され任期7年。
8月22日
森俊成、第63回帝国議会・貴族院開院式に出席(所属会派・研究会)
11月5日
森俊成、東京市会議員選挙に中野区より政友会で出馬。2222票で当選。
1933 昭和8年3月16日
森俊成、東京市会議員選挙に中野区より政友会で出馬。2792票で当選。
東京市会議長に就任。
1937 昭和12年3月16日
森俊成、東京市会議員選挙に中野区より政友会で出馬。3404票で当選。
森俊成、東京市長選挙に出馬。6月28日開票で落選。
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1942 昭和17年6月15日
森俊成、東京市会議員選挙に中野区より政友会で推薦出馬。6381票で当選。
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1943 昭和18年10月
森俊成、東京市議会初代副議長に就任【任期1年】
11月2日
森俊守氏の長男利之氏誕生
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1944 昭和19年
森俊守氏、出征
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1945 昭和20年6月29日
森俊守氏、フィリピンミンダナオ島にて戦死
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1946 昭和21年8月22日
森俊成、第90回帝国議会・貴族院開院式に出席(所属会派・研究会)
1956 昭和31年9月16日
森俊成氏死去
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◆個人情報の観点より、存命者の情報は割愛しています。
※1 出典:森家史料調査会編「森一族の呼称について」2004年版、 「森家年譜」。
※2 江戸期の年齢は幕府届出による公称年齢を基にしています。