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三日月藩主森家(三日月家)

B森 俊春
(もり としはる)
(もり としのぶ)
幼名・別名 勝五郎
官位 従五位下、対馬守、安芸守、佐渡守
生年 享保11年(1726)2月5日
(於江戸)
襲位 元文元年(1736) 世嗣

元文4年(1739)6月26日
襲封15000石(三日月藩)

延享2年4月
5万4430石の天領を預かる

美作・播磨両国の内より)
隠居
(継承者)
元文4年(1739)6月26日
(長男・森俊韶
没年 文化3年(1806)6月4日
(81歳・於江戸)
墓所 池上本行寺
法名
(戒名)
俊晴院殿智道日覚大居士


(続柄)
三日月藩2代藩主・森長記
(5男)

(実父)
於重
井波氏の娘
正室
(子)
於類
新見藩主関長廣の娘で従兄妹
長男・森俊韶
娘(池田政香継室)
娘(長谷川正満正室)
娘(林正周養女)
曾代(森快温正室)
養子
(実父)
養女・上田義茂室
(新見藩主関政富の四男・関富昌)


森俊春書状
(個人蔵)

森俊春墓所
(池上本行寺)

竿柱の鶴丸紋
(池上本行寺)

香炉台の桐鶴紋
(池上本行寺)
※墓碑調査は関係者のご協力を得て、森家史料調査会によって行われたものです。
人物紹介

血縁系図

関係資料
三日月藩日記
森氏雑話
武家伝聞記
三日月森家譜
森家先代実録
寛政重修諸家譜
池上本行寺墓碑碑文
有章院殿奉献燈籠碑文
個人蔵古文書資料

関係記事
ご先祖の手紙

歴代当主 西暦 主な出来事 年齢
※2
@




A




B







1726
享保11年2月5日
森俊春江戸で生まれる(後の3代藩主)
1歳
1730 享保15年
森長記の嫡男・森可敦、将軍吉宗に拝謁する。
5歳
1735 享保20年6月4日
森長俊、江戸で死去。享年87歳。
10歳
1736 元文元年
森長記の長男・森可敦、病のため廃嫡。次男・俊春が継嗣となる。
11歳
1739 元文4年6月26日
森長記隠居。俊春が家督を継いで3代藩主となる。
13歳
1745 延享2年4月
幕府より美作国および播磨国において5万4430石の幕領を預かる。
19歳
C



1750
寛延3年7月18日
森俊春の長男・森俊韶、江戸で生まれる(後の4代藩主)
24歳
.

1767
明和4年5月4日
森長記、江戸で死去。享年81歳
41歳
D



1769 明和6年10月18日
浅野快温、広島藩主浅野重晟の次男として生まれる(後の5代藩主)
43歳
1774 安永3年5月29日
森俊春隠居。長男・俊韶が家督を継いで4代藩主となる。
48歳
1776 安永5年10月4日
森可敦、三日月で死去。享年61歳
50歳
.

1782 天保の大飢饉
E



1787
天明7年8月20日
森長義、備中新見藩主・関長誠の次男として生まれる。(後の6代藩主)
61歳
1793 寛政5年11月10日
森俊韶隠居。妹婿の浅野快温(広島藩主浅野重晟の次男)に家督を譲り、森快温が5代藩主となる。
67歳
F



1795 寛政7年
森長篤、播磨国赤穂藩主・森忠賛の11男として生まれる(後の7代藩主)
藩主・森快温、私財を投じて藩校「廣業館」を設立
69歳
1797 寛政9年2月4日
森俊韶、江戸で死去。享年48歳
71歳
1801 享和元年9月27日
森快温、領国の三日月で死去。享年33歳。
森長義が家督を継ぎ、6代藩主となる。
74歳
1806 文化3年6月4日
森俊春江戸で死去。享年81歳
81歳
※1 出典:森家史料調査会編「森一族の呼称について」2004年版、 「森家年譜」。
※2 年齢は幕府届出による公称年齢を基にしています。

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