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赤穂藩主森家(赤穂家)

宗家改易後、前藩主で隠居していた老齢の森内記長継が隠居料としていた2万石を改めて宛行われ、家名を残します。そのため備中西江原へと移されます。その後の和泉守長直が赤穂に転封となりました。この家を居城のあった所を採って「赤穂家」としました。しかし、津山藩主長継直系の家として「宗家」を意識しています。これは「森家先代実録」の編纂方針によく現れています(旧子爵)。
赤穂藩主森家

◆個人情報の観点より、存命者の情報は割愛しています。

歴代当主 西暦 主な出来事 備考




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1672 寛文12年12月22日
津山藩主森長継の8男・亀之助、江戸で生まれる(赤穂藩初代藩主・森長直)
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1694 元禄7年9月1日
森長直、はじめて将軍綱吉に拝謁する。
1697 元禄10年8月2日
森衆利、家督相続御礼のために参府中の桑名で発狂し、津山藩改易。父長継に西江原2万石が与えられ、家名を相続する。
衆利は父長継へ預けられる。
8月26日
森長直、父長継の嗣子となる。
9月15日
森長直、長継の惣領となる。(宗家格の基)
12月18日
森長直、従五位下和泉守に叙される。
1698 6月19日
長継が再び致仕し、森長直が家督を継いで西江原藩2代藩主となる。
7月11日
森長継、江戸で死去。享年89歳

長直の家臣、各務伊織利直に男子松太郎が生まれる。(後の3代藩主森長生)
1700 元禄13年4月12日
森長直、はじめて西江原の領地に行く。
1705 宝永2年10月3日
関衆利(森衆利)、蟄居先の西江原に於いて死去(33歳)。
1706 宝永3年1月26日
森長直、領地を播磨赤穂郡のうちに移され、赤穂城主となる。
1708 宝永5年10月2日
森長直、方角火消を勤む
1709 宝永6年10月25日
津山藩主森長成に預けられ、赤穂藩預かりとなっていた長直の兄・森 長基が赦免される。
1710 宝永7年12月3日
赤穂藩家臣・森長基(藩主長直兄)、赤穂で死去。享年41歳。

赤穂藩家臣・各務伊織利直に男子虎之助が生まれる。(後の4代藩主森政房)
1712 正徳2年10月14日
長直、増上寺の文昭院霊廟に石燈籠を奉献する
1713 正徳3年
長直、法皇使押小路大納言の御馳走役を勤む
1716 正徳6年4月16日
長直、呉服橋御門番を命ぜられる
4月30日
長直、増上寺の有章院霊廟に石燈籠を奉献する
1718 享保3年2月11日
長直、法皇使梅小路前中納言の御馳走役を勤む
1719 享保4年4月16日
長直、常盤橋御門番を命ぜられる〔大系図〕。

11月21日
赤穂藩家臣森采女三隆の男子森長孝、長直の養子となる。

12月22日
家臣森三隆嫡子森長孝、長直の婿養子となることを許される

各務利直の嫡男清右衛門(長生)、森三隆の養子となる

12月28日
長直の養子・森長孝、はじめて将軍吉宗に拝謁する。
1720 享保5年1月26日
森長孝、長直の娘・幾と婚姻する
12月18日
森長孝、従五位下志摩守に叙される
1722 享保7年8月24日
森長直、赤穂で死去。享年50歳。
10月23日
森長孝、養父長直の遺領を相続して2代藩主となる。
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◆個人情報の観点より、存命者の情報は割愛しています。
 ※出典:森家史料調査会編「森一族の呼称について」2004年版